私の結婚の感情は愛?それとも依存?夫が離婚の同意をするまで…2年半の私の戦い体験談。

◇離婚
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私の結婚は、

 

愛なのか?

恋だったのか?

依存心だったのか?

尊敬する異性だったからなのか?

 

私が初めて結婚したのが22歳。

17歳の時にインターネット通信で知り合った大学院生と付き合った。彼は24歳で、7歳年上だった。その彼と付き合い始めてからお互いに学校を卒業し、就職をしても交際は続いていた。22歳になるちょっと前あたりから、私の親がしびれをきらしてきた。

 

いい加減うちの娘を弄ぶようなことはしてほしくない。

私は22歳と言う若さ。彼にとってはそんなつもりもなかったんだが、婚期であるかどうかと考えたところでまだ先の話だと思っていた。

私の両親は20歳で結婚していることもあるし、時代的には数年付き合っているというだけでけじめをつけてもらいたいという古い考え。待っていられなかったのだろうか、毎度毎度電話で話すたびに「結婚」の話が浮上していた。

 

私たちは、当時彼氏だった夫が転職のタイミングで住んでいる街を離れるような転職をしたため、私が彼女と言う立場でついていくのは妙だと感じ、そのタイミングで入籍することを決意した。

2人で話し合い、「親を納得させるため」と言う使命感が強かったのを覚えている。正直私は、夢で就職したかった「システムエンジニア」の世界でもっと自分を試したかった。

 

さて、ここからは私が離婚するまでの交渉に2年半かかったエピソードをお話しましょう。

「結婚」したにも関わらず、「スピード離婚」に発展した経緯と離婚交渉の全貌を。

 

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はじまり~入籍前に、夫になる彼の子をまさかの中絶。

私たちカップルは、4月の新生活と共に転職して入籍することを決めていた。親にもそれを発表していて、顔合わせの段取りも組んでいた。そんな最中の春になる前の1月に事件が起きた。

私はまさかの妊娠。もちろんそこはしっかり計画的に考えていて、その場の空気に流されて起きたミスでも何でもない状況だった。間違いなく相手は夫となる人の子。

私はてっきり、4月に入籍をするんだから産ませてもらえると思っていたが話は違った。

 

:社会人2年目で転職することになったし、十分な貯えもなく申し訳ないけど養っていける自信がない。君だってまだ社会人2年目だから、十分な貯金はないだろう?

:いずれまた機会をあらためて、今回は中絶手術をして欲しい。

 

これから新しい土地に引っ越しして、仕事を失う私はこの人についていかなければ暮らしていけない。親にも結婚の運びで話を進めてもらっているし、今更引き返せない。こんなことがあっても、私はこの人と結婚しなければならない。

 

そう考えた私が出せる答えは、当時ひとつだった。中絶手術を受け入れ「結婚」する事

私には時間がなかった。思いのほかつわりが酷く、日常生活に支障をきたしていたため「出産するならすぐに入院してもらう」と、医師に告げられていたのだ。

自分の心に嘘をついていたつもりがなかったけれど、当時は思いっきり後先しか考えない自分であったことは間違いない。そして、中絶手術の日が迫ると偶然にも夫となる彼のおばあちゃんが他界し、火葬の日だった。

彼が不在のまま一人で病院へ行き、麻酔で思ったよりうまく歩けない私は病院近くの公園から彼に電話をした。

 

:思ったより上手く歩けないから公園で休憩してた。

:そっか、わかった。駅が近いから、タクシー使うまでもないでしょ?

 

つわりが全然なくなっちゃった自分の体が恐怖で、泣き崩れながら東急東横線の駅まで歩いた。涙が止まらなかったのは、自分の気持ちに嘘をついたから?子を失ったから?こんな彼だから?

何がなんだか全然、自分のことがわからなかった。私がたくさん泣いた理由、いくつかあります。想像できますか?

 

乗り換えの横浜駅に到着すると、駅構内で小さな花束を買った。どうして買ったかは、ご想像にお任せする。

 

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第一章~それでも私たちは入籍したが、入籍初日に二人の関係は壊れた。

そんなことがあっても私はなぜか彼に依存をして生きていた。随分と、その当時は彼が大切だった。だから、約束通り春に入籍し転職で転居するための準備をしていた。

 

そして私たちが入籍した日、横浜にいた。夫の転職に伴い転居で、アパートを引き払う最終日にたまたま私の両親の言う日がイイ「大安」だったし、横浜で入籍したことが記念になると思っていた。ところが、その日は夫の会社の最終出勤日でもあったため夜は送別会だった。

 

私は何もないアパートで真っ暗な中、夫の帰りを待った。夜は布団も何も残されていないアパートで寝泊まりは出来ないから、横浜駅前のラブホテルに泊まることが決まっていたので先に移動していた。ラブホテルを選んだのは、予約が必要なく気まぐれに入れるってだけで何もそういう目的でなく、寝泊まりが出来れば良かったのだ。

 

しかし、何度メールしても電話をしても予定時間の連絡が来ず、ブレーカーは引っ越しの手続きの関係で落としていたため真っ暗な部屋にはもういられなかった。私は横浜の駅前をうろついたけど、夜21時過ぎても連絡がとれなかった。

 

もうほっつき歩くのが体力の限界だと思った時、ようやっとヘロヘロに酔っ払った夫から連絡があって私は怒りが爆発した。とにかく、二次会も何も行かず待ち合わせの横浜駅まで来るようにと強く言った。

会社の人が、最後だからとどうしても二次会に連れて行こうとするようだったのを断れないでいたようだった。私は一人でラブホテルに入るわけにもいかないからブチ切れていると、その会社の人と電話を替わるという。

 

旦那さんと最後なのでもう1件行きたいなと思ってるんですが、僕が責任もって送りますので場所どこですか?

ジャンヌ
ジャンヌ

すいませんが、私横浜駅の前で待っていることしか出来なくて。アパートは引き払ってますし、お恥ずかしい話、特に宿の予約をしていないのでラブホテルに宿泊予定で…。

私行く当てがなく横浜駅前にもう2時間以上いて物騒になってきたので、勘弁いただけませんか?

えええ!?

そんな予定だったんですね💦

それはすいません。

 

夫が電車から降りてくるあたりで待つことにした。めちゃくちゃ飲まされたのか見たこともない泥酔具合で、怒っても効果がないと思いながらもブチ切れる気持ちが止まらず、入籍した日に私の愛情は失せてしまったのだった

ジャンヌ
ジャンヌ

「報・連・相」も出来ない男が、社会人としてデキる男だと思えなかった。

暗いアパート、にぎわう夜の街に一人待たされる妻にただの一度も連絡しようと思わなかったんだろうか。

 

と言っても、この手のことは入籍前から2度ほど大きくやらかしている人で、知らぬ間に駅のベンチで寝ていてバッグと財布の札だけなくなってしまったから帰るお金がないと、夜中3時に連絡がきたこともある。まさか入籍日にまでこの人がこんな事件を起こすとは、想像していなかった。

 

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第二章~見ちゃいけない荷物を発見!引っ越しして3日で離婚騒動。

新居に引っ越して、すぐに仕事がはじまったのが夫。そりゃそうです。転職活動して決めた会社なので、私は派遣の仕事をやめるしかなかったけど、夫は仕事がありました。

よって私が荷物をほどいて、新居で住める状態にまでしていく係。仕事をすぐにはじめなきゃ、私の財布だってピンチでしたがそこは仕方がなかった。そこで、「禁断の荷物」と遭遇します。

 

ずーっと車のトランクに何かの段ボールを積んでいるのは知っていましたが、私はCDだと聞かされていました。その段ボールの中身は「元カノの写真」。私と付き合う前の彼女は、はじめて付き合った彼女だと聞かされていましたが、その彼女の写真たち。私の付き合っている間、車から降ろしたことがなかったあの段ボール。

 

一瞬で気持ち悪くなりました。夫の前のアパートのベッドで寝ている彼女。競馬が大好きだった元彼女の影響で、夫は競馬が好きでしたが、彼女の代わりをさせられているかのように私に競馬を教える夫。前の彼女と競馬場を訪れている写真。何もかも、気持ち悪くなりました。

 

そしてもう一つの段ボールには、人の殺し方みたいな不気味な本と、その間に挟まれた髪の毛の束。もう無理でしょう、これは。

 

帰宅した夫に見つけてしまった荷物と自分の感情を伝えた。

:怪しい本と髪の毛は大学の図書館で借りて返却を忘れて卒業してしまい、ものがものだけにたたられると嫌なので捨てるに捨てられなかった。

:写真は、「大事な思い出」捨てられない。

 

私は気持ちが悪いので、捨てて欲しいと泣きながら訴えても夫には受け入れてもらえませんでした。夫への愛なんて入籍日に壊れかけていましたが、もう引き戻せないほどの感情が湧きあげてきていました。

この時すでに、私の口から「離婚」の言葉が出ていました。

:そんな言葉を軽はずみに言うもんじゃない。言葉の重みがなくなる。「愛している」だとか「好き」だとかと一緒で、簡単に言えば簡単な感情の言葉になる。

 

夫にはこう、注意されました。私は本気だったのに…。

ちなみに、本と髪の毛は後日神社に持ち込んで処分してもらいました。だけどこれだって、本心で信じられる気持ちにはなれなかった私。前の彼女の髪の毛なのだろうと言う感情が、ぬぐえなかった。

第三章~新居に必要な家具すらカラーボックスで済ませる夫。

私、結婚したら新しいお家で二人の城を作るんだと思ってました。生活に必要なものをそろえて、二人の暮らしは素敵なものになると信じていました。

だけど、夫は新居に必要な家具の話をしてもカラーボックスで十分だと突っぱねて2つ買っただけ。2千円で私の新居に必要な家具の調達が完了したと思っている夫。

ますます私の感情は、親に言われたから結婚したまでの「間に合わせの妻」だと感じ始め、元カノの写真を大切に持っていた夫に対し、早くも「離婚」の文字が頭をよぎっていた。

あんなに彼が大切でいた私、どこへ行ったんだろう…。

 

第四章~不信感から財布を調べ元カノからの手紙を発見する。

また「元カノ」関係が出ました。

結婚とかしたら元カノの〇〇は処分しなきゃいけないと思う私。勘弁して欲しかった。私は新しい土地に引っ越してきて、夫についてきたのに夫の心には元カノだらけ!?また出てきましたよ。たわいもない元カノの手紙でしょうね。

:就職したら毎月2万円送ること

元カノにはふられたと聞いていたので、未練タラタラなのもわかるけどあんまりにも気持ち悪いレベルだった。こんな紙の切れ端まで、財布に入れて保管する夫がキ・モ・イ

よほど惚れ惚れしてたんでしょうね。どんなささいなことも、ものも全部大切だった。そんな感情が読み取れて、私は夫の事を愛していると錯覚していたような気がすると感じ始めます。

 

第五章~私が新しい職場に行きはじめ、自立できると確信して離婚が現実に。

自分で働いてお金をもらうようになると、「離婚」の文字は強く現れるようになった。主婦と言う立場で離婚を考えると、どうしても離婚後の暮らしがネックだけど、自分に仕事さえあればこっちのものだと気持ちが大きくなるものだと思う。

そして、最初の離婚交渉がはじまったのが入籍して半年後の新しい職場に行き始めたこの頃。

:働かざるもの食うべからず

そう夫に言われたことが引き金だったのか、この頃の私は殆どご飯が食べられなくなり体調不良に陥っていた。

 

そんな中、一緒に働く派遣スタッフや社内の社員の男性を見て、ますます夫と一緒にいられない感情が強くなる私。会社での飲み会も楽しかった。

結婚している人妻とは言え、私たちは子供がいないというのを理由にめちゃくちゃ飲み会に参加するようになり、夫との暮らしから少しでも逃げるように私は出歩くようになった。

 

:もう夫がいなくても、この職場で働いていれば自分の稼ぎで生きていける。

夫には、これまでの経緯を考えたら離婚を口にされてもおかしくない理由が揃っていると思わないか?と尋ねていました。そして、もう取り戻せない関係だと伝えていました。

 

:中絶には君も同意したはずだ。犬でも飼って二人でのんびり暮らそう。マイホーム購入の計画書を作ったから、計画通り二人で貯金すれば…。

:君が新しい職場で飲みの場の交流をしたいのなら自由にしたらいい。僕は大学時代そういうことをたくさん経験したけど、高卒の君はもっと勉強したかったのにその機会がなかったんだから。自由にしていたらいい。

:愛があるから一緒にいるのか?日本全国、偶然にも愛する人とみんなが知り合って結婚しているのか?違う。人が結婚適齢期に一緒にいて嫌じゃない男女と生活を共にしているだけ。

:君はだまってここにいればいい。仕事をして独身の頃のように過ごしていれば問題は起きないはずだろ?

 

夫はとにかく私を自由に泳がせることで、離婚を突きつけられている現実を変えようとしていました。

理屈っぽくて手強い。離婚の交渉に応じてもらえない…どうする私。

第六章~自立できる状態になった私は、入籍から半年でまさかの社内不倫。

これまでの経緯を読んでいただけたらおわかりだと思うが、私の中にこれだけの不信感があればもう離婚の理由として突きつけて問題ないと思った私。

離婚話に発展していることを、私は社内で仲良くなった派遣スタッフの男性に話していた。それがいけなかった。私は現在40歳にもなるが、22歳だった私は今自分で見ても「バカな女」。

その相談に乗るスタイルで二人の仲は親密になるのも、言うまでもない。

 

ところが当時の私はこう思っていた。

:自分を可哀想だと思ってくれる人がいる。

:私の思っていることに同感してくれるのは、間違っていないからに違いない。

:私を理解しようとしてくれる人が現れた。

 

それだけで飛びついたのだが、そうすれば22歳の小娘がふところにはいることも、12歳も年上の人相手はお見通しだったはずだ。今思えば手のひらで転がされていることにも築かない、なんともピュアと言えば美しい聞こえで、バカで警戒心のない女だった私。

そして「離婚」の交渉が本格化していった。

第七章~離婚交渉から2年3か月ほど経過した、私の誕生日の日に夫の涙。

これまで通り、よく家を出歩きことあれば「離婚」の意思は変わらないと伝えていた。

この頃、夫の母親の耳にも「離婚」について話が出ていることを伝えてもらうよう夫にお願いしていて、夫の母親からも連日、説得のファックスが届いており、帰宅するとファックスの前にロール紙がいっぱい転がっているを見ると気が狂いそうになるほどだった。

:結婚してすぐ私も主人の事が嫌いになったこともありますが、結婚とは約束です。あなたも、うちの息子との結婚を約束したのだから、責任を果たして下さい。

夫は、

:僕は一緒に暮らしたいと思っている。離婚と言うのは双方の同意が必要だから、これでは成立しない。

 

私の誕生日の日、私は家に帰らなかった。カラオケボックスで寝泊まりして、朝そのまま会社に行って翌日帰宅したら、冷蔵庫に「ケーキ」が入っていた。きっと、夫が買ったんだろうと思ったけど、今まで買ったことなかったのに気持ちが悪いとさえ思った。

少し私の良心がうずいた。

まだ仕事中の夫に連絡をしてケーキのことを聞いてみると、折り返してくれた。電話口で泣いているのが分かった。

 

:誕生日のケーキ買ってきたんだけど、昨日は帰らなかったんだね。

私はお礼も言わず、そのケーキを食べずにまたその日の夜帰らなかった。その後ケーキをどうしたかは知らない。

心を鬼にした。少しの情も見せてはいけない。離婚するためには。

 

自宅でシャワーだけ済ませ、運転しながら泣き崩れて一人またいつものカラオケボックスに行った。

 

結婚を専門家に相談してみませんか?真面目な出逢い

最終章~離婚届をテーブルに置いた日。

もはや夫は家族だった。情に流されては機会を失ってきたと判断した私は、署名をしてハンコを押した離婚届をテーブルに置き家を出た。事前に証人にも署名をしてもらい、しっかり準備済みだった。

と言うのも少し前に、急に私は北海道の田舎に帰省して、親に離婚をすることを報告してきていたのだ。もう実行するしかない状態になっていて、数日ホテル住まいで散財もすることを覚悟した行動だった。そして、夫が帰宅する頃にメールをした。

:見てもらえた?

こんな答えが帰ってきた。

:署名とハンコを押しておいたよ。取りに来て。

 

夫が家にいる時を打ち合わせて、私は家に戻った。離婚届が出来上がっていた。夫に、最後の言葉を言った。

:今までありがとうございました。お世話になりました。

 

深々と土下座をしました。私の勝手で離婚した。その罪悪感と情が絡み合い、涙が溢れていた。

私の前で泣いたことがなかった夫が、私の前で大粒の涙を流し、私たちの離婚は合意のもと成立した。後日は、役所に届を提出し無事受理され、私の「離婚交渉」は2年半で幕を閉じました。

 

\不倫実話についてはこちらに詳しく書いた記事があります/

 

まとめ

いかがでしたでしょうか。自分の気持ちがわからず結婚をし、自分の気持ちに騙されてしまう私は、離婚さえも気持ちがふらついていました。それが、2年半もかかった理由だろうと思います。

誰かに依存してしまう「メンヘラ」だったのか、新しく依存する相手を見つけながら生きてきた私は、もしかしたら結婚なんて向いてないのかなって思ってしまうほど。

異性に依存しないと生きられないタイプの人は、自覚すべきだと思っています。自覚していることで、結婚の時にきちんと相手と向き合って考えることができるはず。

 

その気持ちが、

依存なのか?

恋なのか?

愛なのか?

尊敬なのか?

 

結婚する相手とは?依存相手ではありません。

  • それだけは確かと言えると思います。

あなたもお付き合いしている相手と結婚を考えた時、よく考えてみて下さい。

 

ジャンヌ@男運のなさすぎる2歳児ママ(@jannejinsei1616)Twitterやってますのでフォロー宜しくです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

ジャンヌ

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